ヴォーリズと今津
ヴォーリズは、明治38年(1905)25歳の時、滋賀県立商業学校(現県立八幡高校)の英語教師として来日しました。
幼いころから建築家を目指し、大学では建築を学び始めましたが、在学中にYMCA(キリスト教青年会)の活動に従事し、強くキリスト教に傾倒するようになりました。
海外宣教の目的を持って来日したヴォーリズは、学生たちに聖書を教え始めますが、学内での意見の対立から明治40年に商業学校を解職になり、その後は、近江八幡に基督教青年会館を建てて、本格的な布教活動に力を注ぐようになりました。
ヴォーリズは、キリスト教の精神に基づく生活の実践を目指していたため、建築事務所の設立、伝道文化雑誌の発刊、製薬会社・病院・学校の開設など様々な事業に尽力しました。やがてこれらの活動は「近江ミッション」と呼ばれ、ヴォーリズの伝道活動の根本を支えるようになりました。
大正3年(1914)ヴォーリズはモーターボート「ガラリヤ丸」を進水させ、湖西地区への布教活動を始めました。キリスト教会のなかった今津では、ヴォーリズに派遣された鎌田漢三牧師によって、積極的な布教活動が行われました。仏教徒の多い今津の地ですが、人々は鎌田牧師のもとに集まり聖書や賛美歌を習ったといいます。
今津地域には、ヴォーリズ建築事務所の設計による旧今津郵便局、今津教会、旧百三十三銀行などが建てられたほか、ヴォーリズの教えに触れた人々が中心となって、その理念に基づく病院、農繁期託児所、保育所等が造られました。ヴォーリズの思いは、今津の地で様々な形で実現化され現在にまで生き続けています。
![]() |
![]() |
![]() |
旧今津郵便局 | 今津幼稚園 | 旧百三十三銀行 |